アクセス | Google Map |
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営業時間 | --- |
定休日 | --- |
料金 | 御城印:300円 ※篠山城大書院にて購入 |
駐車場 | 無料(21台) |
支払方法 | 現金のみ |
予約方法 | --- |
城好き以外で楽しめる層
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八上城跡に行ってきました!
城郭分類 | 山城 |
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天守 | なし |
築城者 | 波多野氏 |
築廃城 | 1508年~1609年 |
城主 | 波多野氏、前田氏 |
八上城跡は、標高約460mの高城山にそびえる戦国期の山城で、その姿が富士山に似ていることから、別名丹波富士とも称されています。
八上城は戦国期に三好長慶、松永久秀、織田信長といった有力大名との交戦にさらされます。国人の波多野氏、丹波の赤鬼・赤井直正、青鬼・籾井教業といった武芸に秀でた武将などが徹底抗戦し、各軍を苦しめました。
最終的には信長軍の丹波攻め総大将・明智光秀と約1年間の攻防の末に降伏し落城しています。
悲惨な死を遂げた、光秀の母お牧の方が本能寺の変の引き金に?!
丹波の国人である波多野氏は、もともと信長軍として加わっていたのですが、突如裏切って丹波攻めの総大将・明智光秀と一戦を交え、光秀の丹波攻略が長期化してしまうわけです。
そこで光秀は実母・お牧の方を波多野氏へ人質として預け、かわりに信長に服従するなら地位も土地も安堵するといった外交策を展開し、波多野氏を信長へ謁見させましたが…
裏切者を許さない信長は波多野氏を磔で処刑してしまい、怒った波多野軍は光秀の母・お牧の方を磔にして処刑してしまった、という物語(総見記)があります。
このことがきっかけで、歴史のターニングポイントとなった本能寺の変が起きたとも言われていますが、総見記は江戸時代の書物であること、他の歴史書などの研究結果からみると、どうやら創作であるようです。
八上城跡(高城山)の混雑状況や駐車場について
大河ドラマ『麒麟がくる』の影響でか、春日神社の近く登山専用駐車場が整備されており、30台は停められるほどの広さとなっていました。
停められないほどの混雑することはなさそうですから、安心して来訪できますね。
八上城跡の御城印はどこにあるの?
八上城跡から車で10分強、篠山城の大書院で八上城の御城印は1枚300円で販売されているとのことです。
八上城跡(高城山)の登山ルート・見どころをご紹介!
八上城跡の登山道は整備されており、大人の足であれば所要時間約50分で頂上を目指せます。
基本的にスニーカーでも登れるビギナー向けですが、複数あるコースの中にはトレッキングシューズを履いていくことをおすすめするルートがあります。
八上城跡の登山道にトイレはあった?
登山口となる春日神社に公衆トイレがありますが、結構古びた状態でした。男女兼用、ボットン式なので抵抗ある人は事前に済ませておくのが賢明でしょう。
クリックで開きます
11:40 春日神社登山口~主郭まで
春日神社からのコースは、駐車場から近く、道も整備された最も登りやすいルート。山頂まではおよそ1km、時間にして片道約45分程度です。
登山口に面した神社のこの朽ちた感じが、タイムスリップした良い感じの風情を出してくれていました。
春日神社口から2〜3分。主膳屋敷跡では形跡はよくわからない…。
すぐ近くには、八上城主前田主膳の供養塔なるものが。前田主膳を調べてみると、豊臣五奉行の一人、前田玄以の息子の前田茂勝なんだとか。
春日神社口より約10〜15分、最初に現れる眺望スポット。
今は木々が立っていましたが、切り倒していれば、西の敵を見張る番所としてよい立地でしょうね。
12:00~ 西の敵ににらみを利かせた拠点
伝下の茶丸をはじめ、このあたりは西側の敵ににらみを利かせる重要拠点のようですね。
中の壇は、登山の進行方向には高城山の頂上が望めるビュースポット。
上の茶屋丸の写真。ここから主郭までしばし登り道が続きます。
12:25~ 城郭ファン必見!八上城の主郭
主郭は北西部と南東部に遺構が存在していますが、北西部がメインとなっていて、西側への防御に対していかに堅牢であったかが垣間見えます。
春日神社口から約35〜40分。西側の主郭入口部にある右衛門丸へ。ここは城主の屋敷跡や西の防備拠点となっているようです。
土が盛り上がった部分には石垣も残っており、当時の面影が今に残っていました。
右衛門丸に折り重なった1段上の曲輪部分が三の丸。当時屋敷があり主に南方の攻撃に備えられた陣地があったのだとか。
さらに1段上の曲輪が二の丸になっていて、門の礎石なども見られます。
主郭は全体的に周りの木が切られていたため、とてもよい眺望になっていました。
そして本丸。右衛門丸から本丸まで段々畑のように曲輪が連なっており、とても見ごたえがあります。
春日神社口から歩くこと約45分。遂に頂上である本丸跡に到着!ベンチがあったのでランチタイムにしましたが、2月の風は冷たすぎ!
明智光秀との戦いに敗れた波多野秀治の碑が建っていました。
せっかくなので、主郭でこどもたちで記念撮影も撮りました。
岡田丸跡からの眺望
重臣の岡田某の館跡があったとされる岡田丸。主に北と東側に対する防御地点であったとか。ちなみに某は『なにがし』と呼ぶそうな。
ここからは主郭の南東側。畿内方面ともあり、三好長慶や織田信長などの強敵たちと度々対峙した要塞っぷりを知ることができますよ。
13:00~ ちょっとホラーな遺構の数々
蔵屋敷跡や、
大竪堀跡と、当時の敵の侵攻を食い止める重要な役割であったことが垣間見えます。
大竪堀付近に藤木ノ坂コース、野々垣コース分岐点があります。我々は野々垣コースに進みましたが、光秀の母・お牧の方が磔にあった『はりつけ松』がある藤木ノ坂コースも捨てがたいです。
籠城では水が生命線となる中、ここ八上城にはこの朝路池を飲料用水としていたそうで…
そんな朝路池には、明智光秀に攻め落とされた際に波多野氏の娘、朝路姫がこの池に身投げしたことで、その後池を覗き美人に見えた女性が、年内中に亡くなるという、ホラーな伝説が残っているそうです(汗)
朝路池付近には、堀切に突撃してきた敵を矢などで掃射した番所跡も。強敵を跳ね除ける要塞としての見所もあります。
13:15~ 野々垣口コースをひたすら歩く
このあたりからトレッキングシューズが活躍するけもの道が続きます。
沢や岩場が続くこのけもの道ですが、若干5歳の娘は勇敢に進みます!
木の橋を抜けたりと歩くこと約40分。
野々垣コースの出口へ到着します。ここから駐車場まで戻るには、さらに30分ほど歩きました。