アクセス | Google Map |
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営業時間 | --- |
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料金 | --- |
駐車場 | なし イオンモール伊丹直結(平日2時間・土日祝1時間無料) |
支払方法 | --- |
予約方法 | --- |
城好き以外で楽しめる層
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有岡城跡に行ってきました!
城郭分類 | 平城 |
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天守 | なし |
築城者 | 伊丹氏 |
築廃城 | ~1583年 |
城主 | 伊丹氏、荒木村重、池田元助 |
有岡城跡は兵庫県伊丹市にあり、JR伊丹駅やイオンモール伊丹などに直結している好アクセスな場所にあります。
戦国時代を舞台とした大河ドラマでは、度々取り上げられる荒木村重。特に『軍師官兵衛』では岡田准一演じる黒田官兵衛をここ有岡城に幽閉するシーンは、特にフォーカスされました。
この荒木村重という一介の武将と、この地で起きた惨劇を知ることで、味わい深い史跡巡りができますので、簡単に紹介したいと思います。
有岡城城主、荒木村重とはどんな人?
出典元:Wikipedia - https://ja.wikipedia.org/wiki/荒木村重
天文4年(1535年)、摂津国池田城主である摂津池田家の家臣・荒木信濃守義村(よしむら)の嫡男として池田に生まれる。荒木氏は波多野氏の一族とされ、先祖は藤原秀郷である。幼名を十二郎、後に弥介(または弥助)。
荒木村重は大阪府池田市に出生、バリバリの関西人です。
当時池田城主の池田氏に仕えていましたが、下剋上にて池田氏を従え摂津国(北摂・三田・大阪市内辺り一帯)を治める大名にのし上がった努力家です。
転機となったのが、畿内制圧に乗り出した織田信長との出会い。信長に従属して各地を転戦します。しかし信長の独裁体制に対する重圧・不安から謀反を決起、本願寺家や毛利家と手を結び、有岡城を拠点として戦います。
しかし追い詰められていく村重は、有岡城とともに妻子や一族を見捨てて尼崎城へ逃亡し、怒った信長は見せしめとして、妻子・一族もろとも磔にし銃殺、女・子どもは藁を詰めた小屋に入れられ、生きたまま焼死させられるなど、とても悲惨な舞台となった地なのです。
有岡城跡の混雑状況や駐車場について
有岡城跡には専用駐車場がありませんが、イオンモール伊丹に直結しています。収容台数も多く買い物やご飯もセットで楽しむこともできますし、最大5時間の駐車無料なのでベストです。
有岡城跡の御城印はどこにあるの?
有岡城の御城印は周辺で販売している場所はありませんが、彦根で経営する宿泊施設『ホテルサンルート彦根』がネット販売する御城印があります。
→ホテルサンルート彦根が販売する御城印サイト・戦国館
有岡城跡にはトイレがありますか?
有岡城跡周辺の商業施設やJR伊丹駅構内などが近いため、安心して来訪できますよ!
有岡城跡の見どころ・映えポイントはここです!
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有岡城はとても価値のあるお城
そんな有岡城はとても価値のあるお城だそうで、お城の堀が城下町全体を囲む総構(最も有名なのは神奈川県の小田原城)という造りでは国内最古のものだそうです。
今は都市開発により、JR伊丹駅やイオンモール伊丹などでその面影もほとんど見られませんが、隣接する伊丹川やその向こうにある猪名川が、天然の堀として形成されていたとされ、とても堅牢だったと言われています。
日本最古の天守台跡
南北朝時代に伊丹氏によって築かれた有岡城の天守台は、なんと日本最古だそうです。
礎石建物跡、井戸跡
天守台には礎石建物跡や井戸跡が残っている。本丸で居住していた痕跡でしょうか。
土塁
有岡城天守台跡の西側を囲む土塁。
裏手から見た本丸跡の土塁。
城郭として日本最古の石垣
野面積みの石垣が当時のまま残っている貴重な代物、城郭の部類で発見したものとしては最古なものだとか。
有岡城に残る石垣には、墓石などを利用した転用石(有名なのは福知山城)と呼ばれるものが使われていて、今もその姿が見られます。
懐古園の石碑
城郭が寂れていく様を嘆いた奈如女という未亡人が、明治34年に建てた石碑。